日記・コラム・つぶやき

2015年12月17日 (木)

『残穢』はアクロバティックな小説だ。

あまりにも放置しっぱなしでしたが、ちょいと思うことがあって書きますよ!
要するに『『残穢』の感想でございます。

【『残穢』はアクロバティックな小説だ】

 それはこれが怪談実話を目指した小説であるということによる。
 怪談実話は実話であるのだから小説ではない。ノンフィクションだ。ノンフィクションを目指すフィクションってなんだ。
 まずはモキュメントなどと呼ばれる分野を思い出すだろうが、あれはノンフィクション風のフィクションだ。どこにも矛盾はない。この小説はフィクションを描くことでノンフィクションに到ろうとしているわけで、最初からかなり困難な道であることは誰にでもわかる。
 もちろん用意は周到だ。最初に『鬼談百景』が用意されている。こちらは小野不由美による怪談実話集だ。いや、実話とはどこにも書かれていない。だがここにある話は、どれも実話の肌触りを感じさせる。そのように語られそのように構成されているからだ。そしてなにより、これは怪談実話の読者へと向けて書かれている。そこを間違って小野不由美による怪奇小説集と思い読んだ読者が怒っていたりするのを見ると、この試みが成功していることが良くわかる(#1)。改めて言うが小野不由美によって書かれているという事を除外すれば、これは完璧に怪談実話集なのだ。そしてこれは「ということを下敷きにした小説を書きます」という一種のアリバイ作りだ。小高い丘を高い山とするために深い谷を掘るような作業なのだ。
 小説家が怪談実話を書くことは魂をガリガリと削るように辛い作業だとわたしは思う。小説家は何を書こうがどうしても小説を書いてしまう。そして怪談実話は実話であることにこそ意味がある文芸だ(#2)。そのため作家が怪談実話を書くときには、今語っていることが虚構なのか否かを常に問い続けながら書くことになる。それはとても疲弊する行為だ。怪談実話を書くということはそういうことだ。
 それが他の《現実》を描くタイプの小説、たとえば私小説などとどう違うか。言うまでもない。描かれる対象が違う。怪談実話は《霊》を描く。信じる信じないとまったく別の次元で、霊は現実の中の異物だ。それは非日常であり、怪異としか呼べない何かだ。それを日常として淡々と感じ取れる人もいるだろうが、数は少ない。そして小説に於ける霊の役割は、日常に対して異物である事だ。言葉である《霊》が顕現し現実を動かす。《霊》を描くということはそういうことだ。
 予め現実に対する異物として存在する霊に意識的な怪談文芸であるなら、霊は作者のコントロール下にある。純朴に実話怪談であるならば、予定調和的に霊は異物として現実の中にごろりと放置される。だってそれが現実なんだもの、で何の問題もない。
 虚構の装置として霊を意識しつつ、尚且つそれを実話として描くのは、この二つの間を幾度も往復することで一つの物語として成立させるということだ。それはちょうど電磁石とスイッチのオンオフを連動させることで金属片を細かく振動させてベルを慣らすような、そんな行為だ。フィクションとノンフィクションを無限に往復することで世界が軋みサイレンのように鳴り続ける作品世界。怪談実話への深い造詣と『鬼談百景』に始まる綿密な構成とでそれを成立させた小説が『残穢』だ。

注釈
#1
 実話怪談本で有名な出版社の編集者から聞いた話だが、実話本シリーズの中でホラー小説(つまりフィクション)を出してもまず売れないそうだ。実話怪談本において、それを実話とすることが重要な意味を持つからだ。文芸としての怪談と実話怪談との購買層には大きな隔たりがある。

#2
 柳田国男の名著『遠野物語』を「近代において初めて、真の実話至上主義ともいうべき明確な方向性を打ち出し」た稀有な怪談文芸作品だ、と論じているのが、東雅夫著の『遠野物語と怪談の時代』だ。語り手が実際に経験した奇妙で怖ろしい話を、出来るだけ正確に聞き取り採録する。その作業は現在の怪談実話作家の作業と何ら変わりがない。そしてこの実話至上主義が今出版されている怪談実話市場を占めていること、つまり遠野物語の遙かなる末裔だけが生き延びていることにも間違いはない。
 遠野物語は序文において、他の怪談本とは異なり本書に書かれているのは『現在の事実なり』と記している。
 柳田の言う「現在の事実」とは、話す人間が真実と思って語っていることを指す。そして否定されている「他の怪談本」とは、虚構でありながら実話として語られた話を言う。
 柳田においての「真実」とは話者の主観の中にあるのだ。
 もともと人々は怪異が事実であると信じるのに、客観的な保証など必要としない。そして柳田の必要とした「真実」は、怪異を語る佐々木喜善の誠実さの中にある。
 柳田が「現在の事実」としたもの。それが怪談実話における「実話」だ。怪談実話はそう言う意味で実話でなければならないのだ。

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2014年12月31日 (水)

新年がやってくる

そろそろ今年が終わろうとしております。
仕事もっとしたかったっす。
ほんとうに書くのがのろくていやんなるです。
皆さんはどんな年でしたか。
わたしは何があったのかさっぱり覚えていません。
何もしなくても年忘れ。
天然年忘れ。
こんなわたしでございますが、来年もよろしくお願いいたします。
Ojigi002

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2012年1月 6日 (金)

ホラーだ!

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びっくり!

まったく知りませんでしたよ。
春から新しくホラー専門雑誌が出ます!その名も『ナイトランド』。
ホラー小説誌が出るなんて夢にも思ってなかったですよ。
楽しみだなあ。

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2012年1月 3日 (火)

新年でござる

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あけましておめでとうございます。
年末ぎりぎりに年賀状の印刷を始めたら、二台あるプリンターが二台とも壊れてしまい、今年は本当にろくなことがなかったなあと思いつつ年を越したまきのです。
今年が皆様にとって(そして私にとっても)良い年でありますように祈っております。
さ、ゲラの校正にもどろっと。

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2011年12月25日 (日)

HO,HO,HO

サンタさんのやってくる季節になりました。
サンタといえばこれですけど、今年はこんなのも。
レア・エクスポーツ~囚われのサンタクロース~』


というわけで皆様メリークリスマス!

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2011年10月24日 (月)

ありがとうございます(号泣)

いやもうほんと、ありがとうございます。
すぐに最後の一名の応募がございましたですよ。
しかもツイッターでは皆様がなぐさみものに、いやなぐさめてくださってますよ。
なんとお優しい人たちなのでしょうか。
お弁当をひっくり返して泣いていたら、みんなが一品ずつおかずを分けてくれていつもより贅沢な弁当になったような気分でございますよ。
ありがとうございました。
てなわけですので、これにてイベントは締め切らせていただきます。

ご応募いただいている全員に一巻と二巻を送らせていただきます。
お騒がせいたしました。

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刊行記念イベントの誤算!

ひえ~、『死んだ女は歩かない』の刊行記念イベントの応募者が未だ六名に足らないですよ! 
そんなに読みたくないか。
読ませてやる! 寝室に忍び込んで枕元で朗読してやる!
職場に押しかけてテーブルの下で朗読してやる!
デートの最中に朗読しながら尾行してやる!
っつかもう死ぬ! 死んでやる! やっぱり死なない! 生きる! しつこく生きる!

牧野のブログを見に来るような人間は、既に一巻二巻を持っているのだ、と前向きに解釈するようにしよう。そうだ。きっとそうに違いない。

というようなていたらくですので、後一名応募者が出た時点で打ち切りますね。
よろしくお願いいたします。

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2011年6月27日 (月)

代表的な悲鳴歌唱

悲鳴三部作。
『ニーハイ・エゴイスト』アフィリア・サーガ・イースト

『DIFFERENT SENSE』 Dir en gray
シャウトでもデス声でもなく悲鳴。すぐに削除されるので映像はなし。各自で検索すること。

そして『恐怖の町』

最後のにだけ反応する人がいるような気がする。

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2011年6月21日 (火)

今こそ徴兵制を

 何故この国はこんなに不甲斐ない我欲にまみれた国になってしまったのだろうか。この国をこうしたのは誰なのか。維新以降列強国に負けまいと尽力してきた先達の努力をここまで微塵に砕いてきたのは誰なのか。

 まずは『平成20年版 犯罪白書』からの抜粋を見ていただきたい。
 早い話が高齢者の犯罪が戦後群を抜いて急増しているのである。凶悪犯罪や青少年犯罪が戦後激減している中で、これはいったいどういうことであろうか。
 その原因が単に高齢者人口の増加だけでないことは、先ほどの犯罪白書にあるデータからも明らかであり、白書には以下のような記述がある。

高齢犯罪者の増加は単に高齢者人口の増加のみにより説明できるものではなく,高齢者の活動範囲の拡大や孤立化など高齢犯罪者の増加に拍車をかける他の要因が存在していることが推測される。

 つまり簡単に言えば、暇を持てあました独居老人が一斉に犯罪に手を染めたということである。この高齢者たちの心の闇はどこから生まれたのだろうか。
 戦後日本を築いてきたのが彼らだ。次代に尻ぬぐいを任せて公害を撒き散らし、後先考えず原発を推進し、孫子の代へと問題を先送りして、金と利権にまみれた社会組織を作り上げてきた彼ら。
 彼らの倫理観、道徳観はどうしてこれほど容易く悪へと向かうのか。
 彼らの先達と、彼らとの違いは何なのか。
 簡単な話である。
 彼らは兵役にとられていない。軍隊経験が皆無なのだ。
 そこで提案である。この後年金受給者となるすべての男性を対象とし(つまり上限を定めはしない。軍隊経験がない限り何歳でも、である)、徴兵してみてはいかがであろうか。

 ご存じのように現代において単純に兵隊の数を増やせば軍事力が強化できるというわけでないことは自明である。特に若い労働力を兵役に強制的に割くことは、生産力の低下を招くだけではなく、大切な税収を減じる結果ともなる。また強制的に兵役にとられた兵士の士気は低く、その教育もコストと手間から考えると釣り合うものではない。従って多くの国で徴兵制は廃止され志願制への移行する傾向にあり、そうでないにしても、良心的兵役拒否権が認められ、強制的な徴兵は意味を失いつつある。
 その中で「徴兵制の導入」ということをあえて言う場合、懲罰的な意味合いが強い。要するに犯罪者に対する社会奉仕活動的な意味と同じである。
 従って実際に兵隊として使えるのかどうか、は問題ではない。軍隊においてきちんと鍛えてもらい、正しい倫理観、道徳観を高齢者たちに育んでもらうことが、この高齢者徴兵制度の意義なのである。

 まずは首都東京の高齢者を対象として実施してみてはいかがであろうか。





















*世の中には本当にシャレが通じない人がいるので、こんなことを書きたくはないのですが、それでも一応書いておきますけど、これは「冗談」ですよ。

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2011年6月 8日 (水)

東京へ行った

そのまんまでなんですけど東京へ行った。
目的は推理作家協会賞のパーティーです。
東京駅が本当にうすぐらい。映画の中の人になったような気分でホテルにチェックインして、
打ち合わせを済ませてからパーティーへ。
いろんな人に久しぶりに会う。
東さん、ちょっと太った?
不義理ばかりしているあの人この人に頭を下げまくる。
二次会をあっちこっち掛け持ちして、最終的にSFと文学と原子力発電の話を思い切り真面目にしてホテルに帰り、田中啓文さんとぐずぐずと和む会話をした後解散。六時過ぎに寝る。
翌日はNさんと打ち合わせた後、『邪神宮』スパンアートへご一緒してもらう。
児嶋都さんプロデュースの『邪神宮』は実に怪しくていいなあ。
田中啓文さんと綾辻行人さんと出会う。
んで、田中さんとは別れてNさん、児嶋さん、綾辻さんとお茶を飲む。
綾辻さんとホラー話を久しぶりにする。
たのしい。やっぱなごむなあ。
連載一回分ぐらいべらべらと喋って解散。
大阪に帰ってきたのでした。
こうやって「●●に行ってきました」なんて話を書くのはムチャクチャ久しぶり。
ああ、もっとホラーの話がしたい!
だれかしてくれ。

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